“時代を生きたハードコアの変革者”
“新しいアイデア、新しいアプローチというものは2000人の前では起こらない。そういうのは20人〜25人が目撃するものなんだ。”
そう名言を残したのはイアン・マッケイである。MINOR THREAT、そしてFUGAZIを結成した音楽史に名を残す偉大な人物である。
かのBAD BRAINSを生んだワシントンD.C.にて1979年にハードコア・パンクバンドThe Teen Idlesを結成。冴えないその名のバンドは僅か1年で解散。しかし、BAD BRAINS、Black Flag、Circle Jerks、Dead Kennedysらの勢いが拍車をかけ、新たにバンドは『MINOR THREAT』(マイナー・スレット)として生まれ変わり後世にその名を轟かす伝説のバンドとなった。
たった3年の活動期間ではあったが。その活動内容はとても濃いものであった。やはりバンドの顔となったイアン・マッケイの存在が多大な影響を与えた。
彼はすごくナイーブで一貫したアイデンティティをもち、インテリジェンスな部分と突貫した攻撃性を秘めた、独特の魅力を放つミステリアスな人物である。
「ストレート・エッジ」
それは彼が提唱した、いまもなおその意思を継ぐものは絶えないほど確立させた禁欲思想である。”タバコ・ドラッグ、アルコール、フリーセックス”それらを一切行なわないとして三原則を掲げた。それまでのパンクカルチャーや当時のメインストリームであったLAメタルシーンでは付き物であった、それらを一切遮断することで自己意識を高め、俺たちはそう言ったものには流されず強い意志で自分達が伝えたいことを貫くとしてインディペンデントな精神で批判も浴びる中、多くの支持を得た。
“ヤクの歌には事欠かなかった。ジャンルに関係なくだ。
誰もが「ハイになれハイになれ。」
クラプトンがコカイン、ルー・リードはヘロインを歌い、みんなが「ブッとんで楽しもう。」
誰かが「そうじゃない」と言わなきゃ。”
そう述べた。そして彼は、自身でレーベル「DISCHORD RECORDS」を立ち上げ、その精神性をレーベルでも遺憾無く発揮した。
ある時、大手レーベルからパートナー契約と買収話を持ち掛けられた。だが、彼はその話には乗らず、むしろ一蹴するかの様に大金を蹴飛ばした。
大手レーベルはアーティストを喰い物にし、音楽ではなくお金を産み出すものとして彼は危険視していた。交わす会話も音楽のアイデアから契約、カネの話になる。そう捉えていた為、彼のアンダーグランドにどっしりと腰を据える魂が決してそれを許すことはなかった。
それで彼は地元ワシントンD.C.のバンドだけをレーベルと契約させ、インディーシーンの普及に一役を買い、D.C.のイメージを一気に押し上げた。
そして、FUGAZIを結成してもなおその精神は衰えることなく、物販販売を行なわず、公園や美術館などのライブハウス以外の公共スペースでライブ行ない、入場料を限りなく安くするなど商業主義に対してアンチテーゼを放ち健在振りを主張した。
現在は活動休止に入り、レベール運営やサイドプロジェクトに専念しているが、これからの世代に向けてそのマインドを説いている。
彼の与えた影響は音楽界のみならず、スケーターやファッションデザイナーなど幅広く、大いに功績を果たした。
そんな偉人となったイアン・マッケイが率いた伝説のバンドMINOR THREATのTシャツも入荷したので、ぜひご覧頂きたい。
Glen E Friedman”によるメンバーフォトとライブの躍動感溢れるワンショットを捉えた一枚。一貫してハードコアなスタイルが詰まった、シブくもアーティスティックな雰囲気が滲み出ている。
なおDischord Recordsのアイテムも販売しているのでコチラもお見逃しなく。