“稲妻のごとく雷鳴轟かす黒人ハードコア・パンク”
PMA (Positive Mental Attitude) = 積極的な精神制度。ボジティブな心構えを持ちましょう!そういった精神性を掲げ、歴史にその名を残したバンドがいった。
音楽好きならPMAの文字でピンと来た人もいることでしょう。そう、『BAD BRAINS』(バッド・ブレインズ)のことである。
BAD BRAINSは1977年にワシントンD.C.に隣接するメリーランド州プリンス・ジョージ・カウンティで結成された。
メンバー構成はH.R.(ヴォーカル)、H.R.の弟アール・ハドソン(ドラム)、ドクター・ノウ(ギター)、ダリル・ジェニファー(ベース)の4人が母体となっている。4人はハイスクール時代に知り合い、そこでシド・マックレイを含む5人編成でジャズにラテンミュージックや電子音楽を混合したフュージョン系のコピーバンドMIND POWERを結成し、腕を磨いた。
丁度その時代、RAMONESやSEX PISTOLSといったパンク・ロックの礎を築いたバンド達が一足先にデビューを果たし、大きなムーブメント巻き起こしていた。それまでパンクとは無縁なファンキーでジャジーなWEATHER REPORTのコピーをやっていたのが急転直下、脳天に稲妻が落ちるかのごとくパンクの洗練を浴び一気にシフトチェンジ。それがきっかけとなりハードコア・パンクバンドBAD BRAINSが誕生した。
母体の4人となりBAD BRAINSとして再編成した彼らはそこから快進撃を繰り広げることとなった。ワシントンD.C.に拠点を移した彼らは積極的にライブ活動を行なった。いまでも語り種となっているハードなライブパフォーマンスは毎回にわたり暴動となり、挙げ句D.C.の各ライブハウスから出演禁止を余儀なくされた。
仕方なくニューヨークに拠点を移した彼らだが勢いはとどまることを知らず、すでに話題となっていた彼らのライブを一度は観てみたいという者で連日溢れかえった。
そして、いまでもハードコア・パンクの歴史的名盤となっている稲妻のデザインでおなじみのセルフタイトルの1stアルバムを1982年にリリースし、BAD BRAINSという名をしっかりと音楽史に刻み込んだ。
疾走感溢れるハードコアサウンドに、ボブ・マーリーから影響を受けたレゲエのテンポ、ザクザクなリフがずっしりと轟くヘヴィメタルの要素をミックスさせ、クロスオーヴァーサウンドいわゆるミクスチャー・ロックと言われるジャンルの土台を築き、しかも全員黒人といったそういったジャンルでは類を見ないスタイルを型づけた。ちなみにバンド名はRAMONESの曲から取っている。
NYハードコアの先駆けとして華々しくデビューを飾った彼らは、83年に2ndアルバム「Rock for Light」を発表。しかし、その中、H.R.がラスタファリズムに心酔しすぎてバンドに興味を失い、弟と共に脱退してレゲエバンドを結成した。その結果、BAD BRAINSは活動停止に追い込まれた。
彼らの存在は非常に大きく、シーンにぽっかりと穴が空いた状態続いた中、86年にようやくSSTレコードからのオファーの末、H.R.らも帰還し、再結成して3rdアルバム「I Against I」をリリース。後にこのアルバムが最高のリリースを叩き出し成功をおさめた。
ようやく再出発を計り軌道に乗るかと思われたが再び問題が生じ、契約レーベルとの摩擦の末、H.R.がバンドを脱退。その後も出戻りが頻繁に繰り返され、人種差別発言や暴力事件を引き起こし、バンド株が急落した。不安定な時期が続き一時、バンド名がSOUL BRAINSに改名され活動していた時もあった。現在は再びBAD BRAINSの名で活動しているが、H.R.は相変わらずである…。
なのでBAD BRAINSをオススメするうえで代表作は初期三部作といったところだろう。
後期はゴタゴタが耐えない彼らではあるがシーンの確立といった偉大な功績を残した。MINOR THREAT/FUGAZIのイアン・マッケイやBLACK FLAGのヘンリー・ロリンズ、BEASTIE BOYSのMCAなどにも影響を与えたほどでもある。いま勢いに乗るHO99O9も強く影響を受けているだろう。
彼らの稲妻デザインはVANSのスニーカーや、OBEY、PIZZANISTA!など、その他数多くのメーカーにもパロディーされるほど神格化された。一度は見たことがある人も少なからずとも居てることでしょう。
伝説の黒人ハードコア・パンクバンドBAD BRAINSはこの先も語り継がれるだろう。