【ヒップホップのオリジネイターの一人”アフリカ・バンバータ”を特集 Vol.1】
出典:Afrika Bambaataa ・Planet Rock:The Album/Dbk Works
AFRIKA BAMBAATAA (アフリカ・バンバータ)
皆は彼のことを「ヒップホップの名付け親」や「エレクトロファンクの先駆け」として讃えている。
ニューヨークの移民が多く移り住んだ街と知られるブロンクス出身のミュージシャン/DJとしてその名を知れ渡らせた。
本名ケヴィン・ドノバン。1957年にブロンクスにて性を授かる。黒人人権運動に果敢に取り組んでいた母と叔父の影響で育った彼は強い正義感を抱き育った。また幼少期の頃から母親が収集していた様々なジャンルの音楽レコードに囲まれ、そういった環境から自然と音楽にも興味を示していた。
当時、ブロンクスでは治安が最も悪く、ドラッグの売買や窃盗など犯罪が横行していた。そんな状況を打破すべく、彼は秩序を保つべく自らギャング団「サベッジ・セブン」(にブラック・スペードに改名。)を設立して治安向上への改革を目指した。それは血で血を洗う暴力的なやり方ではなく、ヒップホップの四代要素となったラップ、DJ、ブレイクダンス、グラフィティなどのストリートバトルで競い合う取り組みを行なった。いつしか団はニューヨーク一番の規模を誇り、それが現代へのスタイルへと影響を与えた。
彼の熱意は計り知れなかった。勉強家であった彼はその頃、小論文のコンクールへと参加。作品は見事入賞を果たし景品としてアフリカ旅行の切符を手にする。それがきっかけで自身の生き方を変える事柄に出会った。都会で育った彼にとって犯罪渦巻く生活とは真逆な自然と寄り添い、貧しいながらも助け合う地域社会の在り方に感銘を受け、ニューヨークの在り方を変える決意を固めた。そこで触れたズールー族の首長バンバータから名前をとり、”アフリカ・バンバータ・アーシム”として改名を果たした。
人権隔離政策として差別を誘発して社会問題に発展したアパルトヘイトに対する反対運動の活動家としても知られていたバンバータ首長の行動は彼を奮い立たせた。その想いを胸にギャング団を音楽文化集団「ユニバーサル・ズールー・ネイション」へと移行させ、ヒップホップ文化の形成へと担った。
そこには”非暴力”のテーマを掲げられ、平和、自由、愛、正義といった信条のもと活動を行なった。それにはPubilic EnemyやA Tribe Called Quest、Outcast、Nasといったアーティスト達が賛同を表明するなど社会を動かすきっかけとなった。
次回、彼の音楽スタイルへと続く…。
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