DEATH ROW RECORDS – HISTORY

DEATH ROW RECORDS

【史上最凶のレーベル DEATH ROW RECODS の軌跡 Part.1】

来たる6月16日にいよいよ全米で2pacのドキュメンタリー映画『All Eyez on Me』が公開される。2pacといえば、90年代に最も成功したラッパーとしても知られ、その後、映画出演など俳優業もこなし、一躍時の人となった。しかし、96年にラスベガスで、マイク・タイソンのボクシングの試合観戦の後、暴漢に襲われ、4発の銃撃に見舞われ命を落とした。その事件は、ヒップホップ東西抗争と謳われその時代に最も大きく取り上げられた事件である。25歳…早すぎる死である。

DEATH ROW RECODS

太く短い一生を過ごしたカリスマの才能を大きく開花させ、そして彼の人生に大きな歪みを与えたのが、悪名高い実業家シュグ・ナイトとN.W.A.で活躍していたドクター・ドレが設立したレコードレーベル『DEATH ROW RECORDS』(デス・ロウ・レコード)である。

DEATH ROW RECODS

DEATH ROW(デス・ロウ)とは、死刑囚を意味するものでレーベルのロゴデザインは今にも死刑が執行されるであろう処刑台に座る男がデザインされている。強烈なそのインパクトは様々なジャンルのレーベルの中でも最もサグ(凶悪)なデザインだ。91年に設立されたレーベルは、翌年に第一弾としてDr. Dre(ドクター・ドレ)のソロアルバム”The Chronic”をリリース。そのアルバムは全米売り上げ570万枚を叩き出しミリオンセラーとなった。そのアルバムに参加していたのが、いまをときめく超大御所ラッパーとなったSnoop Dogg(スヌープ・ドッグ)である。

DEATH ROW RECODS

DEATH ROW RECODS

ドレーに見出され一躍脚光を浴びたスヌープ・ドッグはその翌年の93年にデス・ロウよりデビューアルバム”Doggystyle”をリリース。アルバムはたちまち全米1位を獲得するなどレーベルを飛躍的な拡大に貢献した。その後、96年には2Pacとの契約を成功させたレーベルは、史上最大のヒットとなったアルバム”All Eyez On Me”を満を持して発表したが、その7ヶ月後に2Pacは帰らぬ人となった…。

立て続けに記録的ヒットを打ち出したレーベルはだんだんと派手になり、シュグ・ナイトの過激さが増しに増し、様々なトラブルや事件が耐えない事態となった。実祭、2Pacが殺害された背景には彼が絡んでいるのは濃厚と噂されている。

そうした中で、ドレーは嫌気が差し、レーベルを去ることを決意。その後、自身のレコードレーベル「アフターマス」を立ち上げることとなった。その一連はN.W.A.のドキュメンタリー映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』の中で語られている。

Part.2に続く…。

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